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1998年1月1日 徳島新聞掲載記事

新春座談会 育て!若手起業家明治維新、第二次世界大戦後の変革期に次ぐ第三の変革期が、戦後最悪の不況の中で訪れている。効率至上主義の大企業がリストラのあらしに見舞われ、終身雇用や年功序列など、従来の日本型経営を支えたシステムが崩壊しようとしている。日本経済が大きな転換期を迎えている中、新しい発想で、自由な経済活動に乗り出す若手の起業家が注目を集めている。1997(平成9)年末には徳島大学で「若者会社をつくろう」というテーマでのフォーラムも開かれるなど、若手起業家の育成に対する機運が盛り上がっている。そこで、県内外で活躍する徳島県関係者に若手起業家の育成について語ってもらった。

宮田 正順-宮田さんはソフト開発の大手から独立したが、その動機は。
宮田 私は大学卒業後、大手のソフト会社に就職し7年半、サラリーマン生活をしたが、そこでは入社1年目から製品開発に従事した。自分の能力よりも少し上の仕事が与えられるという理想的な環境で、とてもやりがいがあった。仕事が面白く、独立の機会を何度も逸してしまった。ただ就職前から、就職は独立のステップだと考えていたので、2年前にそれを実行した。
宮田 考える前に行動を-独立、起業の元になったのは。
宮田 コンピューターに初めて出合った高校時代は、二十歳そこそこのビル・ゲイツがマイクロソフト社をつくって、マスメディアに登場してきたころだった。大きな刺激を受けたことがきっかけだと思う。何かに反発したとか、疑問を持ったとかいうことではなく、純粋にコンピューターの仕事をやりたかったので、専門のメーカーに入って独立、というルートを走った。
宮田 会社をつくるのは、すごく大それたことだと思っていたが、在職中から独立に備えて資金を蓄えていたし、実際にやってみると意外にあっけなかった。従業員を雇用するときは、見通しも必要だが、そこまで考えていたら、会社はつくれないと思う。変革が激しい時代だけに、先のことは予測できない。自分も従業員も能力を発揮すれば、今の世の中、食べていけるくらいの気持ちで臨まないと事業化できないと思う。
宮田 自己表現の姿勢大事 -では、米国型でないベンチャー企業はどう生まれると思うか。
宮田 お金のためではなく自己表現のために働くという姿勢は、若者世代の甘えかも知れないが、時代を大きく変えると思う。経済の発展が政治や文化を変えていく。日本経済にプラス、マイナス両方の刺激を与えることになるだろう。
宮田 人材集める努力必要 -セミナーに集まった人数の多さは意外だった。人材面でも徳島の可能性に希望を持ったが、県外の人たちにはどう映っているのだろう。
宮田 現在会社で8人を雇用しているが、うち4人は県外出身者。彼らにきくと徳島はほどほどの大きさで暮らしやすく、いいといっている。東京や大阪にも2時間少々で行くことができる。通勤には時間がかからない。すべてにほどほどの便利さがあり、自然も多く残っている。車で30分も走ればバーベキューやキャンプができてのんびりできる場所もある。都市部に比べると地価も物価も安い。
仕事さえあれば、いい環境だ。優秀な人材の流出が続いているので、徳島の良さを大事にして人材を集める広範な努力がいるだろう。
宮田 徳島にはニュービジネス協議会もあり、安い家賃で工場として貸してくれる施設もある。住む環境プラス、起業しようとするにも環境は恵まれていると思う。
宮田 徳島は、生活ゾーン、仕事ゾーン、リゾートゾーンが接近している。徳島にはいい素材がある。その意味で、事業は快適に営むことはできる。

宮田 正順氏(みやた まさなお)
徳島市でソフト開発の株式会社エイペックスを経営。徳島大学工学部からパソコンソフト開発大手のジャストシステムに入り、独立し起業。名西郡神山町出身。

(一部抜粋)

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