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1999年11月2日 徳島新聞掲載記事

徳大出身者座談会徳島の「知」をリードする教育・研究期間として地域と共に50年の歴史を刻んだ徳島大学。県内のさまざまな分野で活躍する各学部の卒業生に世代を超えて集まって貰い、学生時代の思い出や徳島大学が地域に果たしてきた役割、母校への期待などを語って貰った。
<社会での活躍>
宮田 われわれの卒業した昭和63年はバブルに向かい、製造業が最も活発な時期だったんです。工学部の場合は、大学院修了生も含めてかなりの割合が製造業に就職していたと思いますね。日本の名だたる超一流の企業に徳大工学部の学生なら入れるよという、今では神話のような時代でした。 就職先は一流 宮田 昨年、工学部学生の就職先一覧を見たんですが、これが同じ大学の就職先か、と思うほど違うわけです。某電機メーカーの中堅技術者になった人と東京で会ったんですが「最近、徳大の後輩なんか来ないから」という感じで、就職口が絞られてしまっています。今も優秀な学生はいるんですが、不幸にもその才能が生かし切れてない状況になっていると聞きます。
<思い出>
宮田 私がいたころは工学部の再開発の前。鉄筋は古くて、コンクリートの階段は摩耗してへこんでいる所もありました。「すごい所にきたな」と(笑)。雨の日は滑らないよう気を使ってあるいてました。
宮田 大学の前半は自動車部の活動とアルバイトに明け暮れ、後半は研究室に入り浸って遊んでいたという、勉強した記憶はあまりありません。徳大は地域に根ざした国立大で、先輩方にも優秀な方がたくさんおり、地域の人に非常に温かく見守られていました。学生の意識以上に周りの方から応援していただいていることをよく感じました。
<大学への期待>
宮田 工学部には地域貢献に関心を払っていただいている教官が多くて、県内製造業の企業には工学部の存在が非常に大きなウエートを占めているところが多いと思います。県内に人材を 宮田大学の中での研究が引き金になったり、企業との共同での技術開発がその企業を成長させたりとか、そういう例がたくさんあります。だから、徳島の経済にとって徳大に工学部があったことは非常に大きな意味を持っていると思います。また、優秀な技術を持った学生が県内企業に供給されるということも重要ですね。
<大学で学んだこと>
宮田 18歳からの数年間は人生の方向づけを決める非常に重要な時期。私自身もコンピューターのプログラマーになりたいと思って情報工学科に入学したんですが、人生のすべてがそこから始まったという感じです。人生の方向づけ 宮田私が大学を卒業して就職した会社も、徳大で見つけたアルバイト募集がきっかけ。そこでアルバイトに行き、コンピューターのプログラムを教わったことから今のコンピューターエンジニアとしての自分がありますし、情報工学科の担当教官から「自分に自信を持っていろんなことにチャレンジする」ということも教わり、エンジニアとしてやってきた自分もあるし、今こうして会社を興している自分もある。そういうことで、自分の人生ほとんどすべてに学生時代が影響していると思います。

(一部抜粋)

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