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徳島の「知」をリードする教育・研究期間として地域と共に50年の歴史を刻んだ徳島大学。県内のさまざまな分野で活躍する各学部の卒業生に世代を超えて集まって貰い、学生時代の思い出や徳島大学が地域に果たしてきた役割、母校への期待などを語って貰った。<社会での活躍>
宮田 われわれの卒業した昭和63年はバブルに向かい、製造業が最も活発な時期だったんです。工学部の場合は、大学院修了生も含めてかなりの割合が製造業に就職していたと思いますね。日本の名だたる超一流の企業に徳大工学部の学生なら入れるよという、今では神話のような時代でした。
<思い出>
宮田 私がいたころは工学部の再開発の前。鉄筋は古くて、コンクリートの階段は摩耗してへこんでいる所もありました。「すごい所にきたな」と(笑)。雨の日は滑らないよう気を使ってあるいてました。宮田 大学の前半は自動車部の活動とアルバイトに明け暮れ、後半は研究室に入り浸って遊んでいたという、勉強した記憶はあまりありません。徳大は地域に根ざした国立大で、先輩方にも優秀な方がたくさんおり、地域の人に非常に温かく見守られていました。学生の意識以上に周りの方から応援していただいていることをよく感じました。
<大学への期待>
宮田 工学部には地域貢献に関心を払っていただいている教官が多くて、県内製造業の企業には工学部の存在が非常に大きなウエートを占めているところが多いと思います。
<大学で学んだこと>
宮田 18歳からの数年間は人生の方向づけを決める非常に重要な時期。私自身もコンピューターのプログラマーになりたいと思って情報工学科に入学したんですが、人生のすべてがそこから始まったという感じです。
(一部抜粋)











